このブログで、柔道女子日本代表の園田監督が記者会見についてのボクの考えを書きました。
1人だけで行った謝罪会見 女子柔道代表の園田監督の暴力指導について
その後で、金子達仁さんのコラムを見つけました。
迷っています。スポーツではなく武道だった柔道にも、完全なるスポーツの論理を持ち込んでいいものなのか?
歯に衣着せぬというか、挑戦的なコラムという印象です。
こういったものを書かれると、当然ながら反響が大きくなるものです。
有名なスポーツライターであればなおさらですね。
ボクは金子さんの書かれるコラム等は好きで、好んで読むようにしています。
そんなボクでも、今回の内容はいかがなものかと思えてしまいました。
体罰でスポーツが上手くなるならば認めるとしています。
ただし、そんな事実はないし、今後もないと否定しています。
だから体罰は認めないのだ、としているのです。
でも、結果は同じだとしても、そこに至るプロセスが受け入れられないものであれば、その論旨を受け入れることはできません。
仮に、本題が別にあって、そこに至るまでの1つの例としてあげたこととしてもです。
上手くなるなら体罰を認めるなどという発言は、あまりにも軽率な意見であるといえるのではないでしょうか。
それから、柔道のカテゴリーをスポーツではなくて、そもそもは武道である。
だからスポーツと同じ土俵で議論できないのではないかとする意見にも、反響というか反発が多いようです。
確かに金子さんが主張している柔道が武道であったことは事実です。
しかしながら、時代とともにスポーツ化してきたのも事実です。
時代を遡るようなことを主張しても、何の解決にもならないのは自明の理です。
武道としての柔道に拘るならば、武道柔道のカテゴリーを作ればよいと思います。
そうはいっても、今回の体罰問題はオリンピックというスポーツの大会で、スポーツとしての柔道のトレーニング中に起きている問題です。
オリンピックの競技種目となっている柔道は、世界的に見てスポーツ競技の1つになっているのです。
であるならば、ここでもともと武道である柔道だからという理屈で、体罰問題を論じてしまっては論点がズレてしまうばかりとしか思えません。
個人的に贔屓にしているスポーツライターの金子さんですが、今回ばかりは応援できないのがボクの正直な考えです。